テレビ「
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美輪明宏さん
1952年、17歳の時に銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』で専属契約
本名の”丸山 明宏”として歌手デビュー。
1957年、フランスのシャンソン『メケ・メケ』を日本語で
カバーし大ヒットする。
独特のユニセックス・ファッションと、作家、三島由紀夫が絶賛した
美貌でマスコミからは「神武以来の美少年」「シスターボーイ」と
評されて一世を風靡する。
しかし、独特の衣装や同性愛者である事を公表した事などで
当初は世間から冷遇され、全国紙に「丸山明宏を芸能界から追放せよ」と言った内容の批判記事が掲載されたり、見も知らぬ人から
石やビール瓶の蓋を投げ付けられたこともあったと言う。
そんな逆風の中で、『うす紫』『金色の星』『ふるさとの空の下』等を
作詞作曲活動をしていたが、そのころは歌い手が自ら作詞作曲した歌を唄う事に聴衆からも歌謡界からも理解を得られず、
レコード化すらできなかったようだ。
美輪さん曰く「人様の情けに生かされた」不遇の時代が続いた。
1963年には、中村八大さんらのバックアップで、
日本初の全作品(作詞作曲)のリサイタルを開く等、
徐々に理解者が現れ始め
翌1964年には『ヨイトマケの唄』を初めてステージで披露する。
1966年、前年レコード化されたヨイトマケの唄が注目されて
人気が再燃。
こうした事から「日本のシンガーソングライターの元祖」と
言われている。
歌手として活動する一方で、1967年から俳優 「丸山明宏」としても
活動。
1968年、三島由紀夫に熱望され舞台『黒蜥蜴』に主演し
歌舞伎、新派の女形に続く現代女形の創始者として高い評価を得る。
この『黒蜥蜴』は深作欣二により同年、映画化され、
舞台同様にヒットした。
また1990年代初頭にはニューヨーク、パリなどでこの映画が上映され、
『ニューヨーク・タイムズ』誌にも大々的に取り上げられる程の
ヒットとなった。
また『黒蜥蜴』以降も『椿姫』『マタ・ハリ』ジャン・コクトー原作『双頭の鷲』(王妃の演技に対し、日本初の女王役者誕生と
賞賛された)といった舞台や『黒薔薇の館』『雪之丞変化』等の
映画・テレビドラマでの主演を続ける。
■
美輪明宏に改名
1971年、読経中に『美輪』の字が浮かび、神様が下さった名前だと思い、
姓名判断を調べると完全無欠な画数だった為丸山明宏から美輪明宏に改名。
女優引退宣言(女性役を演じなくなるので、当時こう表現された)
をし、舞台を離れ歌手活動に専念し始める。
銀巴里やジァンジァンでのライヴや全国各地でのリサイタルを
精力的に行い、『白呪』等のアルバムも多数発表した。
また男性役では映画(1977年 井上ひさし原作『日本人のへそ』)や
ドラマ(1976年『さくらの唄』)に出演している。
その後もこうした活動は続けられ・・・・
現在は、芸能活動だけにとどまらず、
テレビやラジオでの人生相談やカウンセリングなどでも注目されている。
スピリチュアルカウンセラー江原啓之に信頼を置き、
テレビ「
オーラの泉」にも出演、視聴者の人気を得ている。
Wikipedia引用
人気ブログランキングへ最近は若者のあいだで、
美輪明宏さんの画像を
携帯の待ち受けにすると、幸せになるとの噂が!
美輪明宏さんが身につけている洋服の色で、
金運、恋愛運、健康運、勉強運など効果が違うのだそうだ。